LOGINすると、その瞬間。誰かに腕を引っ張られ、私は勢いよくバランスを崩す。そして気が付けば、私は一弥さんの胸に飛び込むように引き寄せられ抱き締められていた。──えっ!?片方の腕を引っ張ったまま、彼のもう片方の手は抱き締めた私の腰に添えられ、スッポリと彼の中に収まってしまっている。えっ、一体何が起きてる──?「大丈夫か。杏華」すると頭上の方から優しく一弥さんの声が聞こえる。私はその声に気づき、顔を上げると、一弥さんがしっかり抱き締めたまま、私を心配そうにそっと見下ろしながら見つめている。「だ、大丈夫……」抱き締められたまま、彼の心臓の音も私の心臓の音もどちらも聞こえるような距離で、逞しい彼の胸板に、思わず私はドキドキしながら手をそっと触れる。こ……、これはたまたま抱き締められている勢いで動けないだけ──。あまりのこの予想しない触れ合いに、私は一人脳内で言い訳なんかしてしまっている。「もう大丈夫だ」そう言って彼は私を更にギュッと抱き締める。彼は、私を安心させるかのように、優しい微笑みを向けてくれる。「おい。なんなんだよ。あんた」「あなたこそ、杏華との撮影はまだのはずだが? 無駄に彼女に近づくのはやめていただきたい」彼は私を抱き締めながら、神崎さんから守るように自然に角度を変えていき、自分が盾になるように私を遠ざける。「何? あんたマネージャー? にしたら、ちょっと距離近すぎて異常なんじゃねぇの?」「──お前には関係ないことだ」あおるような神崎さんの言葉に、一弥さんは冷静に答える。「──あぁ? 関係ない? 今日の撮影、誰のための企画かわかってんの? 俺のために日本で一流の衣装にスタッフに勢ぞろいしてんの。そんな一流の神崎龍我の相手役としてお前んとこのモデル選んでやったんだぞ? これ台無しにしたら、その子のモデル生命どうなるかわかってんの?」一弥さんが冷静に対応してしまっていることで、神崎さんはどんどんイラついた感情を露にしていく。「一弥さん! 私なら大丈夫だから!」「だが、しかし……! あからさまに、この男はお前のことを──!」「せっかくいただいたお仕事だもん! 皆さんに迷惑かけたくないし、こんなことでこの仕事なかったことにしたくない!」「杏華……」私の言葉を聞き、一弥さんは私を見つめながら少し切なそうな表
それから、しばらくしてスタジオに到着。「杏華。一本電話を入れてから俺は関係者へと挨拶に行くから、先に楽屋へ入っていてくれ」「わかった」車から降りると、一弥さんはそう言って、少し場所を離れ電話をしに行く。私はそのまま楽屋へ向かおうと、建物の中に入りスタジオに向かおうと廊下を歩いていると、前方から今日共演する神崎さんが歩いてきた。彼はずっとまっすぐ私に視線を合わしながら、こっちに向かって歩いてくる。そして私の目の前で彼が立ち止まった。「モデルの杏華です。神崎さん。今日はどうぞよろしくお願いいたします」彼がじっと見つめる視線に少し気にはなりつつ、とりあえず私は神崎さんに挨拶をする。今日の撮影は、神崎さんあってこその企画。彼が表紙を飾り巻頭ページの特集を企画するだけで、その雑誌の売れ行きがかなりすごくなると、今回の撮影をするに辺りそんな情報も耳にした。だけど、さっき一弥さんが神崎さんのことでボソッと呟いていたようなことを、実は前もって夏希も言っていたような気がする……。『神崎さんは、トップスターであるけれど、女癖はかなり悪いから距離感に気を付けてね』そのときは、特に自分には影響ない話だと思って、そこまで深く気にはしてなかった。だけど、車での一弥さんの反応も、もしかしたらそのことを気にしてなのかもと気づく。そして自分には関係ないと思っていたそれは、神崎さんと最初に顔を合わせた今この瞬間から、実は始まりだしていた──。挨拶をした私に、彼はじっと見つめながら、更に顔をぐっと近づける。彼のあまりの近さに、私の視界は彼の顔で覆い隠される。私はその距離感に驚き固まる。すると、彼はそんな私から視線を外さず、私に告げた。「──ようやく会えたね。杏華ちゃん」そう言って私を見つめながら神崎さんは微笑んだ。「ずっとこのときを待ってたんだ」「……え」私が反応すると、神崎さんは少し意味ありげな表情で、どこか満足気に笑う。「君のこの先の将来の成功も可能性も、今日の俺との出会いで、どんな形にでもなるってこと教えてあげる」「……それは、どういう」思わず私が聞き返すと、彼はまた私に近づいてきたかと思ったら、耳元にそっと顔を近づけ──。「俺の力で、君をモデルとしても女としても最高にしてあげるよ」彼がそう耳元で囁いた──。私はその言動に驚き、彼を思わ
翌日朝。「杏華。体調は大丈夫か。もし少しでも調子が悪くなればすぐに言え。絶対無理はするなよ」一弥さんは今日の現場に行くため、また運転手の崎山さんの高級車を用意してくれた。この車に乗るまでも、私のバッグを持ってくれ、隣を歩く私を何度も気遣いながら歩いてくれた。そして今も後部座席の隣で、一弥さんは私を気にかけ声をかけてくれる。「フフッ。まだ大丈夫だよ。でも、ずっと気にかけてくれてありがとう」「昨日は、あれからちゃんと眠れたか──」「──うん。すごくよく眠れた」「そうか。よかった──」「実はね、あなたと結婚してからも、離婚してからも、こんなにぐっすり眠れたのは初めてだったの」「初めて……?」「うん。こんなにも安心して幸せな気持ちになったこと、一度もなかったから……。その幸せをずっと噛み締めながらベッドに入ったら、いつの間にか朝になってたの。目覚めもスッキリよ」正直私は昨日の夜、ずっとあれから浮かれたままだった。一弥さんの言葉を姿を、何度も頭の中で思い浮かべては、夢じゃないかと何度も思った。忘れたくなくて、眠りにつくまで考えていたら、ホントに穏やかに朝まで気持ちよく寝れていた自分に少し驚いてしまった。幸せな気持ちになると、こんな安眠効果があるなんてことも初めて知ったな……。すると、一弥さんが隣から私の手をギュッと握り締める。「え、一弥さん……?」「これからは……、ちゃんと毎日安心させられるようにするから──」一弥さんは、私に手を重ねながら少し切なそうに笑う。「うん……」すると、一弥さんが私の顔を下から覗き込む。「えっ? 何!?」私を覗き込みながら、じっと見つめる視線に、私の胸は大きく跳ねる。「うん。スッキリしている顔をしているな」そう言って穏やかに微笑む。安心したかのような表情で笑う彼に、今度はまたキュンとなる。「ちなみに俺は、お前が心配であまり眠れなかったがな」「え!?」驚いて一弥さんの方を見ると、本当か冗談かわからないような表情で一弥さんが笑っている。「なら、スタジオ着くまで、少しでも寝て!」私は彼のその言葉に少し焦った反応をし、今度は私が彼の顔を覗き込む。「いや。寝る時間がないのは問題ない」「問題ないって……」「それより──。俺はこうやって、お前と少しでもいろいろ話をしていたい」そう言って私の手
「もちろんよ。一弥くん。私と詠司は、そばで杏華ちゃんを守りたくて、ここに引っ越してきたの」「──あぁ。杏華ちゃんは、必ず……俺たちが守るから」「私もです! いつでもどこでもずっと杏華のそばで守り続けますから、任せてください!」すると三人とも笑顔で力強く答えてくれる。「ありがとう──」一弥さんがまた頭を下げる。「ありがとうございます──!」私も三人に頭を下げてお礼を伝える。正直、ここまで言ってくれている一弥さんが、守れなくなるかもしれないということが、どういうことなのかはわからない。だけど、あの一弥さんが私のために、こうやって何度も何度も頭を下げて、私を守ろうとしてくれている。それを見ていると、一弥さんのそこまでの覚悟と立たされている立場のようなものが、痛いほど伝わってくる……。本当はどういうことなのか一弥さんに全部聞いてしまいたい。でも……、一弥さんは私を巻き込みたくなくて、今までずっと黙っていてくれた。それは、きっと私が想像出来ないような、大きな何かが存在しているということだとわかる。それなら……いつか、彼の方から話してくれるときを待つしかない──。「杏華。ここまでお前に伝えてしまったが、これから俺の出来る限りの力で守っていくから安心しろ。お前はとにかく、今は一番に自分と子供たちのことを考えろ」「わかった……」「杏華ちゃん。不安なこと心配なこと、たいしたことないことでも何でもいいわ。すぐ近くに私たちがいるんだから、いつでも遠慮なく声をかけてくるのよ」「はい。わかりました」「じゃあ、あとは二人でゆっくりちゃんとこれからのこと話し合うのよ」「はい」「わかりました」三人は、一弥さんのすべての話を聞き、そのあと私と一弥さんと、しっかり話し合うようにと念を押して帰って行った。二人きりにされると、なんだか少し照れくさい雰囲気に急に変わってしまう。私たちは
私は、いろんな感情が溢れまくって、胸がいっぱいになり、うまく言葉で出てこない。「杏華……」一弥さんは言葉にしない私を、不安そうに見つめながら名前を呟く。「杏華ちゃん……。今まだそこまで考えられそうにないなら、時間もらってもいいんだよ?」「そうだよ。杏華。杏華自身の気持ちを一番大切にして」紗耶香さんと夏希が、心配そうに私に声をかけてくれる。「……私……」「うん……」私を支えながら、紗耶香さんが頷く。「私……、一弥さんを……、信じ……たい……」私は声を必死に絞り出し、言葉にする。「──杏華!」すぐに一弥さんの声が聞こえる。「だけど……。今までの、一弥さんとの辛かった時間は、私の中で消えない……のも、確か……なの……」「あぁ……わかってる……。決して消してほしいだなんて思っていない──」「それでも……、あなたと今こうやって、いろんな時間を過ごしてきて……。今のあなたが私にどう向き合ってくれているのか……、ちゃんと私を見てくれていて……、私を大切にしようとしてくれているのも……わかるから……」「ん……」「だから……、これからの……あなたを……信じてみたい……」これが私の今の気持ち。ホントはいろんな感情でぐちゃぐちゃだけど、一度は心から死ぬほど愛した人。何があってもずっとその想いが消えなかった人。私の中で、彼という存在は、どこまでも大きい、その事実は、やっぱりなくなることはないから──。彼といることで、私は誰よりどんなときよりも、幸せを感じられるという、今までよりもっと大きくなってしまったその気持ちを、私も大切にしたいから──。何より、私は……このお腹の子たちと、一弥さんと、四人で、心から笑顔になれる……そんな家族を作りたい……。「杏華……。ありがとう……。ありがとう……」一弥さんは、その言葉を噛み締めるように頭を下げ何度も呟く。「一
「杏華ちゃん! 大丈夫!?」「杏華!」泣き崩れた私を、紗耶香さんと夏希さんが駆け寄り支えてくれる。「どうした杏華!」すると、一弥さんも大声で叫びながら私の前にすぐに駆け寄り、ガシッと両肩を掴んで、泣き崩れた私の顔を覗き込む。「ちょっと……辛かった想い出と……、今のこの幸せに……感情がおかしくなっちゃって……。ごめ……んな……さい……」私は泣きながら、一弥さんになんとか答える。感情が不安定になっていた私は、一弥さんに辛かったというその言葉も、隠さず伝えてしまっていた。「すまない……! すまない杏華……!」一弥さんはその瞬間ガバッと私を強く抱き締め、私と同じように声を震わせながら叫ぶように何度もその言葉を繰り返す。「うっ……」その一弥さんの温かい温もりと言葉に、私はまた涙が止まらなくなる。「すまない……杏華……」一弥さんは私を強く抱き締めたまま、私が泣きやむまで何度もまた繰り返し呟いた。それからひとしきり泣いたあと、私はようやく落ち着き一弥さんに声をかける。「一弥さん……。ごめんなさい……。もう……大丈夫……」「本当か……?」一弥さんは私を抱き締めながら、そっと私の顔を覗き込む。「うん……」「あの。紗耶香さん。夏希さん。ちょっと杏華を頼んでもいいですか」「もちろん」「はい!」一弥さんの代わりに、力の入らない私を二人が手を貸して支えてくれる。そして長く連なったソファーの上に、二人がそれぞれ私を抱え支えながら、そっと座らせてくれる。「ちょっと今から俺に時間をほしい──」私はその声の方に振り向く。すると、一弥さんがその前に立って、こちらの方に真剣な眼差しを向けていた。私の両隣で紗耶香さんと夏希さんが支えてくれ、その紗耶香さんの横に詠司さんも座る。詠司さんも、厳しい真剣
【プロローグ】 初恋は実らないものだ、と人はよく口にする。 私はそれを信じず、初恋の人と結婚した。 結婚三周年記念日。 私は妊娠をした身で、ミシュランに引けを取らないほどのご馳走を並べ、彼の帰りを待っていた。 すると彼から一本のメッセージが届き、ある高級レストランの住所だけが記されていた。貸し切りだと。 ついに彼も気が回るようになったか、サプライズを用意してくれたのかと思った。 ドアを開けた先にあったのは、私の妹・綾乃の誕生日会だった。 その瞬間、私はすべてを悟った。 自分だけが幸せだと思い込んでいたこの結婚は、最初から最後まで私ひとりだけの独り舞台だった。 私はあの子の影
目を覚ました瞬間、強い戸惑いに包まれ、次いで記憶が断片的に一気に押し寄せてくる。 気付けば無意識のうちに私は下腹部をかばっており、鈍い痛みが走った。 そのとき、そばにいた一弥さんの姉の真琴さんが私が目を覚ましたことに気付き、慌てて駆け寄る。 真琴さんは私の手をぎゅっと握り締め、声を震わせながら言った。 「よかった……やっと目を覚ましたのね。お医者さんが言ってたの。急激な精神的ショックと、長期間の心身の抑圧が原因で、切迫流産の状態だって。今は安静が必要よ。……ねぇ、どうして妊娠していること私に言ってくれなかったの?」 「どうして、私は病院にいるの? どうして真琴さんがここにいるの?」
「……?」 目の前に差し出された離婚届を見つめ、喉が張り付いたような声で問い返した。 「あなた……どういう意味なの?」 「綾乃から、全部聞いた」 彼の顔には、余計な表情は一切なかった。 あるのは、骨の髄まで染み込んだ冷酷さだけ。 「三年前、うちとお前の家に政略結婚の話があると知っていただろ。 お前は俺と結婚したかったから、彼女を追い出した。別れを強要し、海外へ行かせたんだ」 ――ドン、と。 頭の中が、真っ白になった。 「違う……」 声が震えながらも、私は必死に最後の光にすがる。 「一弥さん、信じて……! あの時は、彼女が自分で行きたいと言って……私は……」 「もういい
「わあ、すごく綺麗なお花!」 綾乃は、私の腕の中に抱えられた花束を、目を輝かせて見つめた。 私は反射的に花束を抱き寄せる。 「この花は……」 言い終える前に、すらりとした長い手が、私の腕の中から花束を奪い取った。 呆然と顔を上げると、そこには桐生一弥の、感情の揺らぎひとつない瞳があった。 彼は、私が心を込めて選んだ――純潔な愛を象徴する白いバラの花束を手にすると、そのまま自然な動作で振り返り、綾乃の前に差し出した。 「誕生日おめでとう、綾乃」 低い声だったが、突然静まり返った個室の中には、はっきりと響き渡った。 綾乃は驚きと喜びの入り混じった表情で花束を受け取り、顔を花びらに